🇫🇷 日本とフランスの「こどもの福祉」の違い
社会資源と連携が少ない西宮で、相談支援の限界を感じ、先日、お隣・尼崎市の研修に参加させていただきました🙇♀️

ゲスト講師の安發明子さんは、
以前は日本で生活保護ワーカーをされ、今はフランスからこどもの福祉の情報を発信されていて
私もSNSでずっとフォローしていたので、直接お話を聞けて本当にうれしかったです
聞きたかった盛りだくさんのお話のなかで、自分なりに整理できたことを😌
日本では…
相談を受ける機関でも「関係機関や、次の支援につなげたら支援終了」という流れがあたりまえ
支援はぶつ切りで、その先に責任はもたない
私も、「本気で解決する気あるのかな?」と感じることが良くあります
フランスでは、それを「野に放つ」(無責任に放り出す意)と表現するのだそうで、支援とは「見届けること」なのだと
異動がないなど、それをしやすい環境でもあるけれど、そもそもそれが当然との意識が、社会全体にあるのだそう
そんな支援がしたい、いや当然と思っていた私には、うらやましすぎる話でした
このフランスと日本の違いは何か?
それを知ることが、「こどもに何が必要なのか」を考えるヒントになると思います。
🇫🇷フランスのこども福祉🇫🇷
■こどもに何か問題が起こったとき、
「こどもに問題がある」のではなく、「環境に問題がある」と考える
そして、その家庭や周囲の大人たちに対して、当たり前のようにサポートが行われる。
こどもの不調の発見や予防(問題が起きてからではなく、起こる前に支える)には、親や先生だけでなく、こどもに関わるすべての大人が責任をもつ。
一方で日本はいまだに「こども本人」や「親」に責任を問う傾向が強く、その差はとても大きいと感じます。
私自身も、活動を始める前は、そんな意識がどこかにありました。
でも、現場でこどもたちや多様な家庭と向き合うなかで、「その考えは違う、社会そのものを変えなければならない」と思うようになりました。
■「親ができない」ではなく「子育てはみんなでするもの」
虐待のケースでも、親だけを責めるのではなく、「なぜ支えられなかったのか」という視点で考える。
それは“福祉の失敗”とみなされる。
■「発達障害がない」社会
フランスでは「発達障害」という概念がない。
「その子に合った教育が行われていないこと」が問題とされます。
つまり、本人の特性のせいにしないという姿勢です。
■「申請と受益」について
日本は申請しなければ支援(利益)が受けられず、それが漏れていたら、本人や家庭の責任とされる。
フランスでは、支援が届かなかったことは周りの責任。
その違いが、支援のあり方を大きく分けています。
■専門職が常にサポートできるところにいる
支援を必要とするこどもをつなぐシステムが確立されていて、
「こどもの居場所」にも必ず、エデュケーター(教育・心理・社会支援の専門職)が常駐。
中には“路上エデュケーター”もいるそうです。
社会のあらゆる場所に「こどもをサポートする専門職」がいる。
■「愛は存在しない、愛は証拠のみ」と言われている
こどもが、愛を感じる日常の行為
たとえば「寝る前に絵本を読む」など、
こどもが安心や愛情を実感できる“行為の積み重ね”が必要と考えている
■ レジリエンス(回復力)を育てる
どんな人にもネガティブな経験はある。
大切なのは、
- ポジティブな経験を重ねること
- 良い関係を築ける大人と出会うこと
その“関係の中で回復する力”を育むことが、フランスの福祉の根底にある。
■ こどもに関係する大人は、学ばなくてはならない
こどもに関わる立場の大人は、
共通の土台で話ができるように研修を受けることが義務づけられている。
知識や姿勢をそろえることで、支援の質が均一に保たれる。
■ 「ティーンエイジャーの家」
13歳〜26歳までが無料で利用できる施設。
全国に123カ所あり、親の承諾も不要。
専門職が常駐し、「元気になるまで見届ける」仕組み。
悩むこどもが安心して話せる場所が、全国規模で用意されている。
■ 連盟で支援し、共に予算を獲得する
支援団体が“連盟”を組み、合同で国に予算を請求・獲得している。
だから、日本のように一部の団体だけが委託を受けて孤立することがなく、ネットワーク全体が生きた福祉の仕組みとして機能している。
🔍 日本とフランスの違い
制度そのものは似ていても、
根本にある「考え方」がまったく違うことがわかりました。
日本では、10代の死因の1位が自殺。
そして、不登校で家に引きこもらざるを得ないこどもは、全国で35万人以上。
20年前、フランスも日本もこどもの自殺率は同じでした。
けれど今、フランスは半分に減り、日本は3倍に。
この差は、「制度」だけではなく「意識の違い」から生まれてると思います。
🇯🇵日本に必要なのは“考え方の転換”
日本では、
「権利」は“与えられるもの”
フランスでは、
「権利」は“自ら努力して得るもの”
この意識の違い、訴える力の違いが、社会全体の姿勢を大きく変えてきたのではないでしょうか
もちろん、日本がそのままフランスを真似ることはできません。
けれど、日本流の「見届ける支援」をどうつくっていくか?
それがいま、こども達に私たち大人が問われてる課題だと思います。
『こどもは守るべき花ではない。ともすべき火である。』


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