【父97歳のこと4】

2021年4月20日

2021.4.19()

今朝も焙煎珈琲から❤️

部屋に入って来た職員さんが、「あぁ良い香りですね♪」

父「ん美味しい」と少しずつ飲んでくれた

昼ぐらいから、時おり続く会話がはじまる

父「(家に)帰るんだよ」

私「肺炎だから、ここで治療しないとね」

父「僕は肺が弱いんだよ、小学校3年のときと、海軍に行って厚木基地にいた頃に肺炎になってね、1か月休んだ..」と

「そんな若い時でも1か月かかるんやから、もう少し時間かかるね」と言うと、納得したように笑う

15時過ぎにPCR検査を終えた長女が来る

父、最初はにこやかだったけど、だんだんと「今日来たんだよ」「僕の履物は」「用事があるんだよ、帰る」「乗って来た車は?」と苛立ちはじめ、いきなりせん妄モードになる

そのせん妄、苛立ちは、身体の痛みや苦しみからきていると気づいたのは二女、昨夜「おじいちゃんがこんなになるんだからよっぽど痛いんだと思うよ」と..

そう言われみれば、「これ(ベッド柵)を外してくれ」「帰るんだよ」と不穏になりはじめたと思ったら、どんどんと眉間にシワを寄せ痛みを我慢するような顔つきになり、痛みに耐えるかのように身体を傾けて硬直させていく

そして「暑い暑い」と、布団もタオルケットものけて、しまいには病衣まで紐を外そうとする

辛いから帰りたいんだね

この時の意識は普通ではない

父のような強い精神力の持ち主でも、せん妄になれば理不尽に怒る(怒っても言葉遣いは上品なのはさすがだけど)

それから、苦しい表情で帰ろうとする行動が続いた

30分、1時間、いつもより長い..

可哀想でナースコールを押す

ゴネられるのもそうやって理不尽に叱られるのも、何日寝なくても構わない、でも苦しそうな姿は耐えられない

それから眠らせる決断をするまでもだえる

眠らせると、もう話ができなくなる

もしかして父は治るかも知れないと、時おり楽になった時の笑顔に万分の一もない可能性を追ってしまう

身体がもう限界になのはわかっている、だからこれ以上無理をさせられないのも..

少しでも元気になると、無理と思わずやってしまうのが父だ

ずっとずっとそうやって97年生きてきた

「今履物を探しに行ってるよ」

「車(電動カート)を見に行っているよ」

その場しのぎの返事がバレているからまた怒る.. 長い.. まだ寝ない

そんなやり取りをしていると「無責任だよ」のハッキリとした父の言葉

そうだ、父はここで思うようにできないまま不自由に長くいることを望む人ではない

私の覚悟を待ってると、魂で感じる

「わかったおじいちゃん帰ろうね、準備するからね」

父の顔がやっと穏やかになる

看護師さんに連絡、先生が忙しいなか来てくださり、家族の判断に任せることを聞く

主人と孫を呼ぶ

来るまで..

「今孫達が靴を探しに行ってるよ、(主人が)車を探しに行ってるよ、しんどいだろうけど、もう少し我慢してね」に、柔らかな笑顔

皆んな到着

一人ひとりおじいちゃんと「ありがとう、ありがとう」と、泣きながら話す

娘は3人ともおじいちゃんのつくる離乳食パン粥で育った、あちらこちらに連れて行ってくれたのは父、保育所の送り迎えも父

仕事ばかりの私の母親代わりだった..

皆んなで写真を撮る

看護師さんを呼ぶ

先生から説明で、いきなりモルヒネは使わないとの説明

「鎮静剤を少しずつ入れていって眠ったら止める、時間が経つと覚醒するので、苦しかったらまた鎮静剤を入れるを繰り返します。

それでまだ苦しかったらモルヒネを使います。耐えられない痛みの判断は家族さんの意見を聞きます、私達は慣れてるので、どうしてもまだ我慢できると判断してしまうので」と

あぁまだ目が覚めるんだ、ちょっとホッとした気持ちになる

でも父は起きたとき苦しくないのか?何度も苦しいのではないのか?そんな不安が頭をよぎる

そうだ、母と兄の時もそうだった

あの時は私一人で判断した

ガンの末期だったんで、何の躊躇も迷いも無かった

そしてそれがセデーションというものだと後で習った

まさが、ガンではない父、家系的に突然逝く父に、この判断をしなければいけなくなるとは思わなかったけど

父と私には強い太い絆がある

父が目の前なら居なくなる日など考えられなかったし、だから何度も棺桶に足を突っ込んだ父を引きづり戻してきた

もう戻せない

戻せても戻しちゃいけない

身体が限界なんだ

家族皆んなの意見は一致

でも決断は私がしなきゃいけない

薬がはじまり父が深い眠りに入る

目が覚めそうになったら様子を見てナースコールを押す

→NSが薬をおとす

→寝たらナースコール

夜中何回か繰り返す

忙しいなかで大変なはずの看護師さんは、父の状態に向き合って下さり、「休んで下さいね」と労りの声をかけて下さる

有り難くて涙が出る


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